新月へ贈る白昼夢


最初は本当にただ傍にあるだけで良かったんだ。

小さな、小さな世界にあった君の傍で、刳り抜かれた狭い青空の広さに憧れ、訪れた小鳥と戯れ、

男であろうとした為に庭の花を素直に愛でる事が出来ない自分に顰め面を作る。

そして、その他愛のない日常を俺だけをその翠緑玉に映し、語ってくれる。

些細な幸せを語る、君の一番近くにあれること。それだけを純粋に願っていた。


そんな君が、大きな、大きな世界に飛び出した。

君は頭上にある空の広さを知り、多くの人と出会い、ひた隠しにしながらも思わず零れる本心を世界が綺麗だと語るようになった。

毎日多くの大きな出来事が起き、やがてはそれが日常となり、自分の認知する世界をどんどん広げていった。

もちろん君は、一番身近にあった俺に毎日起きる変わった事象を話してくれる。

だが、その翠緑玉に宿す感情は既に世界へと向けられたものに変わっていた。俺だけのものではなくなっていた。

そこに沸き上がったのは、捨てた筈の復讐心。そして憎悪に似た愛情だった。

己だけを想って欲しい。そう強く願い、現実のものとする為に画策した。



それでも。 本当は傍にありたかっただけなんだ。君は信じてくれるだろうか。






新月へ贈る白昼夢






「ご懐妊されています」

医師から伝えられたのは、ただ一言だけであった。だが、それは全てを語っていた。



ルークが生の意味を見出せないと己の絶望を語り、それに突き動かされる形で自身の胸の内をガイが打ち明けた晩から

既に一日が経とうとしていた。

昨晩より満ちた月の放つ光が室内唯一の窓から惜しみなく注がれ、明かりの点けられていない室内に充分な視界を与えている。

明かりを遮る役割を担う布地が上げられたままとなっている寝台上には、気を失って以来、一度も瞼を上げぬ少女が横たわっていた。

無意識にか、胎に添えられた小さな白い手は彼女を看る男、ガイに宿った命の存在を思い出させた。

其れに快くない想いを抱き、ガイは眉間を寄せる。


彼女との子を作ること。


それは己が望み、実行したことだ。毎晩行った行為は記憶に新しい。

嫌がるルークの華奢な身体を全身を使い押さえ付け、その身の内に強引に侵入し、無理矢理欲を植え付けた。

それを受け取り新たな命を宿すのは、女として健全な身体を持つルークには当然のことである。

離れられない絆を作る。そうする事でルークを手に入れる画策をしたのは己だ。

己が願い、したことなのだ。

だが今、その事実に吐き気を覚える程の嫌悪をガイは覚えていた。

「ごめんな……」

意識も戻らぬのに、偶に閉じられた眼から頬を伝う水の跡をガイは触れても良いのかと悩みながら、労わるように拭った。指に伝わる体温に、

掠る僅かな吐息に安堵と愛おしさを覚える。

(そんなこと思う資格…ないのにな…)

そう、自分にはルークを想う資格などないのだ。彼女の心身を蹂躙した自分には。

女性にとって、命をその胎に宿すことは多くは悦びを感じるものである。だがそれは、想いを通じ合わせた相手と順を追い、

愛を育んだ結果招いたことならば、だ。

愛してもない男に犯され、その子を孕むことは耐えがたい仕打ちであり、意思の無い妊娠に幸福が伴うことはけしてない。

それが原因で命を絶ってしまう女性も、多々いる。

ルークがどちらかと言えば、明らかに後者である。それは疑いようもない事実だ。

彼女の意思に反し、犯し続けた結果なのだから。

「お前も…本当にごめんな……」

胎の上に置かれたルークの手に己のそれを重ね、まだ名も無き我が子にガイは届かぬ謝罪を贈った。

今は自分でも恥じている愚行の末の結果であるが、己が切望し、愛する女性の身に宿った子供だ。

愛しくない訳がない。望んではいけないと思いつつも、誕生を願ってしまう。

それがどれだけ愚かな事だということも、現の幻であるという事も解っている。

ルークは己を愛していない。これからも自分を愛することはない。

故に、この子も愛されることがない。この子は母の愛を受けられぬのだ。


それらが意味する事は。


二人の命を受け継いだ子の死であった。


意識が戻り、妊娠の事実を知ったらルークはきっと子を堕ろす。それだけではない。

もしかしたら、絶望し自刃をしてしまうかもしれない。

幼い時に出会った、宣戦布告の為に敵国武将に孕まされ、母国に返されてきた女の様に。

憎しみによって孕んだ母体は我が子に憎悪を抱き、自らを呪い、命を絶つ。まだ幼児といえる年齢の頃に合い見えた女の壮絶な人生に、

ガイは其の様な観念を得ていた。

だから知っている。ルークにもその可能性があることを。

それだけは避けなければならない。ルークが命を絶つことだけは。彼女は其れを望むかもしれないが、

ガイはそれが自身の利己だと知りつつも、ルークの生を願った。


そして、決意する。


未だ寝台に身を預け、覚醒を拒むかのように深く沈み込んでいるルークの体にガイは手を伸ばし、背と膝裏を掬い抱き上げた。

そして長い間、閉じられていた扉に向き合う。

寝台と戸の僅かな距離。すぐ傍にある外界。囚われていたルークにとっては此れがどのくらい遠かったのだろう。どのくらい恋い焦がれたのだろう。

数か月間ここにあったときの彼女の口から紡がれたのは専ら、外への開放を望む言葉であった。

それに嫉妬を覚えた自分が、否定の意を伝える度に彼女はどれだけ悲愴を感じていたのか。

だが、そんな思いをさせるのも、今日で終わり。

長きに渡ってルークの生活の場であった寝台に背を向けるとガイは重き足を上げ、大きな一歩を踏み出した。

一歩ずつ、一歩ずつゆっくりと、だが確実に近くなる扉へと。


途中、縮み存在が近くなった自身の影に月の存在を思い出し、ガイは足を止め背後を顧みた。

僅かに満たない月が今夜も分け隔てなく万民を、世界にある全てを照らしている。

暗闇に色を与え、汚れきった自分さえも包み込む淡く優しい光。

それはルークの胎で小さな鼓動を打つ我が子を彷彿させた。

愛おしさが増し、己の腕の中で眠るルークのまだ何の変調も見られぬ薄い胎にガイは視線をおとす。


生まれてきて欲しかった。


この腕で抱き締めたかった。


一緒に、長き時を生きたかった。


愛するルークと共に慈しみたかった。


目に見えないのに、確かに其処にあり存在を主張するそれに意識を委ねることによって、自然と次々に欲が生まれる。

其れがいけない事だと理解しているガイは、振り払うように扉を見据え再び歩み始めた。


「ごめんな…」



愛の結晶として命を創ってあげられなくて。



金細工の施された取っ手に指を掛けた時に、ガイは事の根源に当たるその残酷な事実を小さな命に伝え、細い声で謝罪を呟いた。

既に真夜中を過ぎ、静寂に包まれた室内にそれは響き渡る。だが、聴き手のいないその言葉に返事が返ってくることはけしてなかった。

直後鳴った扉の開閉音を最後に、囚われの姫が眠っていた部屋に音が発つ事は二度となかった。





男が流した雫を、月だけが知っていた。














予定が狂い、ルークが目を覚ましませんでした。


2008.1.7